滞在記1 フランクフルト〜シュツットガルト
滞在記2 シュツットガルト
滞在記3 シュツットガルト
滞在記4 シュツットガルト〜ストラスブール

滞在記5 ランス(シャンパーニュ)
滞在記6 ランス〜パリ
滞在記7 パリ
6/jun/05フランクフルト乗り換え
 梅雨になりたげな6月の6日、まだ晴れのこる朝、空に飛び立つ。前々日、早く逝った友人・青木亮(陶芸作家)の冥福を、より天に近い雲の上層で祈る。シベリアを飛び越えバルト海側からドイツ領に滑り込んだ。 フランクフルトは曇り時々晴れ。入国審査を即されて進むと国内搭乗への乗り換え進路しかなく、私たちの利用するICE/LH(鉄道)のステーションにはそのままでは行けない。当然目的地までバッゲージは返されない。なるべく隅へとはずれつつ階段を降り、縦横無尽に続くカウンターの間を抜けるが、迷う。警官事務所を見つけ聞くと、腰にピストル下げた大柄の女性警官が大きなジェスチャーで方向を示してくれた。「このままかまわず真っ直ぐ進んで右に曲がればある」だったが、彼女は右と左の英語を間違えていた。ドイツの一般人の英語能力も我々日本人並みである。再度うろつきながら空港施設の端まで進むと、建物に挟まれた道路があるだけで、そこにパラパラとタクシーが止まっている。道路側から、時折人が入ってきてはLH(ルフトハンザ)の思い思いのカウンター(無数にあって、しかもみんなLH)に行くので、たぶんここがメインの入り口なのだろう。結構しょぼいというか実質的というか。なんだかなー。よく見ると、向かいの建物に大きく2文字だけの電光看板。DB。すわこれだ!と勇んでステップを駆け上がりブリッジを進むと、なんと事務棟。泣きそうになる、と右手にややクランク状態で通路がまだ続いている。はてさて、ようやくフランクフルト空港駅があったのである。
 まだ乗るには2時間近く間がある。いったん空港側に戻り、先程の彷徨でも目ざとく見つけておいたHarrodsの売店付きシーフード軽食店で休む。妻のあつこが無類のシャンパン好きで、すぐに見つけては記憶皮質に蓄積するので、存外便利である。つまり我々の旅行一番目の飲食は通路に置かれたスタンドテーブルでシャンパン。時期遅れの新婚旅行を兼ねているので乾杯は何度でも嬉しい。
 早めにステーションに行くとフランクフルト空港駅は屋上にガラスドームの屋根が架けられ、オープンドア感覚。待合いのベンチが陽だまりになっていて心優しい。お決まりのようにビアカフェもオープンテーブルが店の大半を占めている。階下にガラス貼りのエレベータで降りるとそこがホーム。チケットの刻印とホームの所々にあるサイン(もう小さな字でめいっぱい表記されている)を見比べながら列車を待ち、急速で滑り込んだICE/LHに乗る。
 車内は自分たちの席に誰かさんが座っていて、向かいの老人が鼻水と咳がひどくて、ジプシーのお婆さんが席を譲ってほしがって、はあったがおおむね快適。何よりもICEの窓が大きいのが良い。フランクフルト空港駅を出たらいきなり小麦畑の大平原出現でビックリする。天気もドラマティックに雨雲が足早に動く。陽が差したすぐ後に雨が降りまた曇りになるのを繰り返す。見るに飽きない。それと間道を走る車が思い切り速い。DBのローカル駅が近くなると焦げ茶の屋根の村が数十軒、教会を中心に集まっている。壁の色もみな同じかと思いきや、結構まちまちである。が、なぜかマッチして佇んでいる。感性とは不思議だ。落ち着いた色彩が好みで、しかも気候が視覚的にあたえたものの影響なのだろう。
 列車は線路を快適に飛ばす。大地はうねり、背後に消える。遠く近くなだらかな起伏に小さな村々が点在する。人々の姿を見かけることは少ない。日本のように民家や工場などの建築物が連なったまま行政区が変わることなどないのだろうか。やたら緑が続く。(こんなにも自然の隣に住んでいるのに、ドイツ人は緑の党を作って自然保護を訴え、実践している。それも本格的にだ)だんだん通り過ぎる村のサイズが大きくなってきた。途中、壁面に赤くBAUHOUSE(どうもDIYショップ?らしい)と大きく書かれた建物の一群が過ぎり、トヨタの施設群が流れ行き、いくつかのトンネルを越えた頃、車内案内は10分でシュツットガルトであると告げた。
フランクフルトDB(ドイツ国内長距離各駅)とCE・ICE(特急・新幹線?)の駅。この下にホームがある、行き先表示などは素っ気なくチケットの刻印とホームの所々の表示を見比べて「ここじゃないかな?」うー、わからん。
硝子貼りの待合いの下のホーム。
フランクフルト空港チケットカウンターのあるロビー。あつこの父はパナソニックの技術系学者でCCDレンズのIC開発者なので、大きな宣伝ポップに嬉しくなって記念写真。
フランクフルト空港施設内のHarrods shop。
6/jun/05シュツットガルト到着
 高い塔屋に回転する巨大な光のベンツ印を頂くシュツットガルト中央駅。(ベンツ博物館が併設されている)この駅は全体が明るめの灰茶色をした石造りである。大きな明かり取り屋根の下にホームが幾つもある。柱らしい柱の無いせいか全体が見渡せる。さて、荷物を受け取らねばならないが、ホームには何の案内板もない。列車の発着ラッシュなのかあちこちで駅員や車掌さんらが人に囲まれている。女性駅員がトランシーバー片手に動き回っているのを無理矢理つかまえて尋ねる。フランクフルトの女性警官の件があるので、ジェスチャーをよく観察しながら聞くと、どうもホームの待合いホール(大きな天蓋のある空間)を出て階下に降りるらしい。地下道に事務所が幾つか並び、その先にLHのサインが見えて、 小さなオフィスはなんなく探し出せた。受け取りのシステムは空港と全く同じで、ベルトラインの穴から突然ボコボコと出てくる。ここの女性警備員の腰にもピストル。うぅっ。怖い。 日本のお巡りさんはあまり拳銃を強調した制服ではないが、西欧ははっきり「持ってますぞ!」って感じである。

 地図を見るとホテルは駅隣のシュロス公園を越えた500mの距離なので、ごろごろキャリートランクを押して向かった。これが間違いであった。公園内カール・ツァイスプラネタリウムの裏手にホテルへと続く道があるはずだったが、それはつれなくも大きな石階段のある横断歩道であった。しかもその先にあるホテルの3階部分に突き当たり、ロビーへは外階段を回り込んで降りなければならない。トランクのキャスターが壊れるかと思った。
シュツットガルト駅をシュロス庭園側から見る。正面奥のビルの左側からケーニッヒ通りが伸びる。
シュツットガルトで始めに泊まったホテルメリヂンの廊下。向かい合わせの姿見に思わず写真。迷宮のラビリンスかコクトーの映画か。
これが困惑の大きな階段。上に横断陸橋がありその先にホテルがある。ロビーへは外にある周り階段を2階分降りる。 シュツットガルト駅横のシュロス庭園。 いろいろな種が乗ったパン。
7/jun/05シュツットガルト
 シュツットガルト駅の正面にケーニッヒ通りがある。表参道の車道すべてが歩道になったような人専用の買い物道。大きな繁華街はここだけである(もちろん外郭部に商店がまとまった街はある)。雪から放たれた良い季節、人々の背筋は軽やかだ。花色の風が流れる。シュツットガルト駅の隣に位置するシュロス庭園を通り抜けて街に出てみる。公園の芝生に鳩が脚をたたんでいるのかと思ったら、なんとそれは鴨であった。日本では彼らは公園の池の隅に追いやられているのだろうが、ここでは何を気にすることもなく、その辺にいる。

 さて繁華街にはパン屋が多いのが目に付く。最近の日本もお店で焼いてすぐに売るパン屋(古い言い方ですな)が増えたが、パリみたいに彼処ばった感じではなく、何となくチェーン店っぽくフレンドリーである。パンは全粒分の硬いものよりは芥子やごま?の実を表面にかけた柔らかいタイプが好まれているようだ。
 またご多分に漏れず、インターネット関係(カメラや周辺機器を売る店を含めて)の看板も目に付く。インターネット(サイバー)カフェ、料金もリーズナブルでイーサー対応+ビール3杯で2,000円足らずだ。メリディンは部屋にイーサーネットのコネクタがついてたので、次のホテルの時に利用した。
 ところでどう考えても、やたらと昼の時間帯が長い。午前5時には明るくなり、夜10時過ぎてようやく暮れる。 大人だけでなく子供までもが街を行き来している、Sバーン・Uバーンといわれる公共交通網も結構遅くまで動いてる。バレエを鑑賞して劇場の外に出たら、まだ明るかった。夜中だというのに夕方かと間違えそうになった。
シュツットガルトオペラハウスの前で、あつこ。この夜は旅の主目的シュツットガルトバレエ学校の卒業公演。日本の深川秀夫氏作・演出の演目を鑑賞。街をあげての行事らしく、関係者よりはその辺の方々やってきて見ているといった感じである。しかもかなり楽しんでいる様子。私が通った金沢美大、金沢市民が美大生を慈しんでくれていたことを思い出した。
シュロス公園のハーブガーデン。 公園でチェスを楽しむご老人。
気になるお魚は、ニシンの薫製。目抜き通りのデパ地下で買う。上の袋の中にはオリーブの実が幾種類か。どちらもくどいので付け合わせに巨大マッシュルームの生をスライスしたのとマーシュ(小さく柔らかい小松菜みたいなもの)を。ニシンの薫製は身が柔らかいタイプ。味は子供の頃、両親の実家のあった留萌や稚内(北海道)から送ってきたものと同じ。私にとっては田舎の味。もっとも田舎のものは身の固いタイプだったが。