2022年2月11日誤嚥性肺炎にて母他界
昨年来の床擦れが治らず、帯状疱疹も秋より併発し、母には辛い日々だったと思う。
朝から何となく調子が優れないようだったので、訪問医療の先生に電話報告したら、往診の日では無かったが急遽訪ねてこられた。
玄関に迎えに行ってベッドに戻ったら、「これは、もう亡くなられているんじゃ」とおっしゃられ、診察をされて「お亡くなりです」
なんかあっけなかった
死亡診断書には自然死、つまり大往生となった。

鉾田市の住まいと同じ尾根の上にある安房地域の諏訪神社 この辺りにスーパー、ホームセンター、ドラッグストア、セルフGS、コンビニ、家電量販店、マクドなどがかたまっている 尾根伝いなので自転車で行ける



旧市街の北側に広がる鉾田川とその湿地
かの徳川慶喜が水戸藩での蟄居後駿府に移る際 この川を下ってきて鉾田に一泊し太平洋を蒸気船で行ったという


春の鉾田の庭
今回の冬は異常に寒く水道管が破裂し水漏れで水道代7万円もかかった
母の介護があって去年の10月から来れなかったのが災いした 水道管に巻いているヒーターに電源をさせなかったからだ


何故か西側の隣 フェンスの向こうに大きな敷地があって 山羊が飼われている
時々 境のこちら側で伸びたタラの芽の葉を フェンスから伸び上がり食べている
棘が痛くないのかな?


亡くなった母の骨を薬研で粉にし 散骨
はじめは鉾田の海 鹿島灘へ


次に小田急和泉多摩川駅近くの多摩川へ
子供の時分駅前に釣具屋があり 夏になると其処が川岸にタイヤチューブの浮き輪を並べて貸し出していた
登戸側にも同じような店が出来て 川遊びをする猛者は泳いで渡ったり戻ったりしていた
母や父、兄と行った思い出がある


北陸新幹線で日帰りの金沢
内灘の駅が以前より手前の 操車場まで後退し
尚且つ以前は広大な浜のアカシヤ林やブッシュの野原だったところに高速道路が延び 浜へ出るのに1時間も歩く羽目に


遅めの昼食に片町裏へ 金沢も他県資本が増えていて美術学生時代に行ったレストランや喫茶店などは跡形も無く代替わり
見た目まるで京の先斗町だ
勿論中学の同級生達も既にこの地域から離れ 何処に行ったかすら分からない
その一人K君の家のあった辺りで犀川に母を散骨 中学の頃までここには屋形船が係留されていたのだが