「霧中の木霊」は2003までに綴られたものです

更新日は5/Dec/2012です。内容は当時のままです。左の項目からお進み下さい。


春のアトリエ


94年2月7日:朝のうちとの雲っていたが、お昼近くになってようよう晴れてきた。結構暖かだ。誕生日前後のこの時期には、いつも体調を崩してしまうのだが、今年はなんともない。山里での暮らしが基礎体力を付けさせたということか。5月の個展のための制作が出来ずにいる。気分転換も含めて薪割りと掃除をした。それに沢が凍り、水のない日8日目に突入した。水場の様子を見に行く。天気が良いので気分が高まるが、水は涸れてい無い。途中の管にも水が満たされている感じはない。水量が少ないので所々で凍ってしまうらしい。まだ貯めてある、きれいな汲み水がもう少しあるので、雑水用に横の沢からバケツに2杯ほど汲んだ。この沢の上にはもう一軒家があり生活排水が流れてくる。洗濯などをしていそうもないときに汲むことにしている。いつになったらあの5月のような豊富な水量に戻るのだろう。

94年2月13日:雪 大雪 昨夜半から降り出した雪はもう40センチは積もったろうか 寒いがしかし景色は最高に美しい いつもは目の敵にしている針葉樹も雪が積もれば樹氷に成らずとも美しい 竹林に積もった雪が跳ね落ちるのもまた風情がある  こんな大雪の中でも鳥達は囀るものだ その鳴き声を遮るように一陣の風が粉雪を舞あげる

94年2月18日:沢からバックアップ用に70mほどのホースを引いたが、結局夜には凍ってしまった。なんともはや水には移住したてから泣かされ続けだ。ホースの先端は蛇口に繋がず、そのままシンクタンクに入れおく。水を流したままなのに、排水部分で凍ってしまった。悲惨にもシンクから溢れた水がそのままの流れる形で氷になった。氷のなかに杓文字やカップやらが閉じこめられている。まるで氷河期だ。文明の氷漬け。なにかユーモラスでもある。昼頃、気温が上がり始めると、少しづつ融け洗い桶の中で固まったホースの先端から流れる、ちろちろという音が聞こえる。



雪の日の朝


94年6月19日:窓を開け放した梅雨時 雨降る曇り空は輝く灰色だ 麓から立ち昇る霧とも霞ともつかぬ 姿変える気水体は幾層にもなって風に揺蕩う 時折輝く灰色に もすこし明るい隙間の生じることがある するとこの幻想的風景の向こう側に 更なる幽玄の眩い世界がその入口を覗かせ 私を誘う 雨足は強くも弱くもなく心地よい 木々草木それぞれあまたの葉喜び舞揺れ そも葉に落ちる雨音を見やると 五体五感まるで芳しき気配伝わり心魂解放される またほんのわずかばかり周囲の明るさの変化するにつれて爽やかなる風 肌に触れる まさにおのずと背筋の伸びる瞬間だ

94年6月20日:殊の外寒い一日 雨は見た目よりも量多く降っていたようだ 鳥の囀りはあまり聞こえないが 時折雨足が急に激しくなるときなど 鵯がひゅいーひゅいーと鳴く 番同士呼び合っている どこぞに雨の避けられる所はないものかと で 欅や柿の枝枝をよく見やると ゆらゆら上下に揺れながら留まっている そしてそのすぐ近くの枝に も一羽の鵯が留まっている 器用に枝先に留まるものだと感心するばかりだ とその瞬間 二羽とも谷渡りの体で向こうの山裾へ 雨に打たれながら飛んでいってしまった あの森の枝枝でも同じように鳴き合いながら 手頃な隠れ場を探しに行くのだろうか

94年6月21日:藤原は麓の日野沢川縁の若浜から徒歩だと四十分ほど 藤原沢沿いに山の背間近の谷合いに数百年も張り付いている 隠れ里の様をしているのはうねうねと山襞を登ってきて この先もはや獣道以外ないのではと心配し始めた辺り 大きく切り通しを曲がったところで 竹薮越しに穏やかな風情の白壁の蔵や齢を経た日本家屋が目に入るからである 里の入口付近には一本の大きな桧が天を指しすっくと立っている 大木であるこの桧は切りとうしになっている山にあるために道からは見えない 里に入って振り返り見るとき初めてわかる それだけ左右に振られた地形で麓の若浜から仰ぎ見ることは出来ないし 里からも日野沢川は見えない 里から見える景色はどこまでも山また山ばかりで まさしく隠れ里の様を呈している  さてその一本桧だが 水墨屏風絵のような山塊を背に孤高な容姿で他の木々が群れていても少しも気にとめぬのがよい

94年10月28日:曇り空が山をなめる 薄明るい南の稜線から木々をつたって水の匂いが届く そろそろ秋も深まる頃だ 11月を迎えれば毎日晴天が続くことだろう